先輩に勧められて、読んでた本をまとめてみる。
個人的にすごく刺さったのは、「できる人」というものを生んでいる原理と、その「できる人」が人を育てるという観点に於いては「できない人」になっていることです。
「できる人」が陥る三つの罠
抜きん出た能力で頑張りすぎる罠
- 頑張るから能力が上がるのか、能力があるから頑張るのか
- 「できる人」の多くは、なんとなく脳の中に、"できるイメージ"を形成し。自分を動機づけしている
- 無意識のうちに動機づけされている自分の内面の現象を、それが起きない他人と比較して違いを理解する必要がある
- 達成の機会を多く得られる「できる人」は、それによって承認を得るチャンスも多く、結果として成長のスパイラルを描きやすい環境を手にする
- 高い能力を持つ人の孤軍奮闘が組織を蝕む
- 「できる人」は自分が頑張ることによって、周囲に刺激を与えるどころか、無力感を植えつけてしまう
- 「できる人」の出来具合を見せつけられて、自分は無理だという「できない症候群」が広がってしまう
- 頑張る人への依存体質が風土になっていく
- 自分が率先して答えを出していくことで、周囲は答えをもらうことに慣れていく
- 自分で答を見つけ出そうとせず、いつも答えを待つようになる
- これを受け身と非難することは簡単だが、非難している人が実はその状況を作り出しているケースが多い
- 「できる人」がもらたす知識とノウハウのブラックボックス
- 「できる人」は一人で頑張る過程で、その考え方や手順を「できない人」に伝えようとしていない
成功体験にもとづく信念の罠
- 心の中の動機を伝授することはできない
- 「できない人」の中にある内発的な動機付けの要素と、「できる人」にもらった"べき論"が衝突する
- 多くの「できる人」は、経験にもとづく自信を備えて、"べき論"を「できない人」に押し付けてしまう
- ハードルが高いほど人は燃えるという思い込み
- 今持っている能力から見て高すぎるハードルは、意欲を萎えさせる
- スピードが遅いやつは怠慢という思い込み
- 「できる人」は仕事の遅い人を。サボっている、意欲がないと、否定的に見てしまいがち
- すでに関係がギクシャクしていて感情のフィルタがかかっている
- 関係がうまくいっていない状況で相手は、自分を守ろうとし、言い訳や抵抗、消極的な姿勢を招きやすい
- 子育てと部下の育成は似ている
- 小さな子供が必死では知っているスピードは、大人のジョギング以下のスピードである。でも、もっと速く走れという親はいない
- 自分の常識を振りかざしても、それが相手の能力にマッチしなければ、上司の姿勢としては非常識である
- 相手が特殊なのではなく、特殊なのは自分であることを、改めて自覚しなければならない
高い常識がもたらす非常識の罠
- こんな簡単なこと、できて当たり前という誤った前提
- 相手の目線に合わせて行動することは非常に難しい
- 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」で期待通りに動く人は限られている
- やってみせることをどのように見せていけばよいのか?などありとあらゆることの常識が、「できる人」と「できない人」では異なる
- このことに気が付かないと、相手の目線に合わせてやったのにダメなのか。。。という失望感を抱くことになる
- こうして学んだという、自分の記憶がアダになる
- 自分が学び、習得してきた過程が、自分の中に記憶されている
- その記憶をもとづいて、「こうやって教えれば大丈夫」という感覚が生まれる
- ところが固有のプロセスを当てはめることができない相手がたくさんいる
- 教える力があるからこそ、育たない可能性がある
- 自分がいちばん仕事をしているという実感は要注意
- 自分が忙しくて、部下が暇そうに見えるとしたら、部下の力を引き出していない証拠
- 「できる人」は、自分がちゃんと実績を出していることで自尊心を満たし、部下の力を引き出していないことへの危機感が足りない
- 自分の中に勝利の方程式があって、ある程度の問題は自分で答えを出すことができると思っていたら要注意
- しかし、それは自分がやった場合であり、もとより能力の高い自分の流儀で、他人がうまくやれると考えるほうがおかしい
「できる人」は、こうして組織をダメにする
仕事の目標だけで人を動機づけしようとする
- "明確な目標"は成長の万能薬ではない
- 目標があるから進める人もいれば、目標のおかげで進めない人もいる
- 組織における目標は、その組織を構成するメンバー一人ひとりの目標におりてくるが、その受け止め方が違う
- 目標に対する気持ちと実態が乖離した「できない人」
- 明確な目標を前にして、やる気もある人が、目標に対して前進しないことがある
- 予期せぬ事態によってスケジュール通りに物事が運ばなかった時
- 「できる人」はアドリブで日々の時間管理をしながら、大筋を外さないようにゴールに向かうというのが当たり前になっている
- ところが、目標を達成した経験が少ない人は、小さな変化に振り回せれてしまう
- 目標への真剣さが足を引っ張る要因になる
- 目標を作って失敗しやすいのは、むしろ相手が真剣である場合
- なぜなら、相手に真剣さが感じられなければ、事が動き出す前に障害に気がつくことが多い
- 真剣ならできると考えるのは間違い
- 目標そのものが悪いのではなく、目標との付き合い方の違いに目を向けなければならない
- 常に目標がエネルギー源になる「できる人」ほど気をつける必要がある
- "結果がすべて"のプロ意識に隠された盲点
- 目標をエネルギーにできるのは、求められたいる結果を出すことへの手応えを掴んでいる人
- これまでの経験から、そこに至るシナリオをある程度は描けるし、チャレンジすることで得られるものも知っている
- "結果がすべて"と受け止め、前向きに行動できる人は、すべてである結果に進んでいくためのプロセスが見えている人
- すこしくらいゴール設定に無理があっても、見えている道を歩いて行く意志をもてる
- 目標に対する納得性と意欲は、プロセスの理解から生まれる
- プロセスが見えている「できる人」が、プロセスの見えていない人を、ゴールの明確化で動機づけしようとする
- このやり方は、今まで以上に結果を意識される
- だから、「できる人」は望ましい結果に強くコミットする一方、「できない人」は不本意な結果に対する恐れを強める
- 「できない人」をゴールに到達させてあげるには、"プロセスの見える化"が絶対に必要
「低次元なこと」の大切さに目を向けない
- こういうふうに説明してあげれば大丈夫だろうという自己判断のもとに、「できる人」は豊富な知識体系に基いて説明をしていく
- わからないと言ってくれればいいが、「できない人」の多くは、レベルを合わせてもらっているという負い目を感じているので、懇切丁寧に話してもらうほど、「それでも、わからない」とは言い難く、そのまま話は進んでいってしまう
- すべてマニュアル通りにやらないのは常識、の非常識
- もっと自分で工夫して、もっと柔軟性を持てと発破をかけるが、そもそも、それができないから「できない人」であるということを忘れてはならない
- 横断歩道を渡るときに、子供に対して、本当に重要なのは、ルールではなく、怪我なく渡ることだとは普通は言わないのと同じ
- 手順は手順通りに教える
- 常識の枠組みが形成されている人、いない人
- いちいちルールを暗記しなくても、自分の立場と役割にもとづいて常識が形成される
- これは、「できる人」の行動基盤の一つ
- 常識の枠組みがあるからこそ、良い意味で突飛な行動もできる
- 「できる人」は「そんなことは当たり前だろう」という意識をもとに、指摘をする
- しかし、常識の枠組みができていない人にとって、それは、「当たり前」ではない
- もちろん、その場では反省の意志を示し、自分が悪いことも理解する
- しかしそれは、上司が怒っているからといった認識。相手に強く注意されているという行為によって、まずかったと理解しているに過ぎない
自分の頭の回転に合わせて部下を回そうとする
- じっくり丁寧に教えれば伝わるものだと思っている
- 対話に於いて、自分の方が話している場合は要注意
- 丁寧に、より多くの情報を提供すれば、今までよりも伝わるというのは間違い
- 「できない人」には、情報量が多すぎて、何をどうキャッチすればよいのかわからなくなってしまう
「できる人」に知ってほしい「できない人」との違い
「できる人」と「できない人」の自己認識の違い
- 「できた!」による自己信頼と「できない…」による自己不信
- できる体験を繰り返して育った人は、その過程で幾つもの達成感を味わっている
- 一方、できない体験を繰り返した人は、うまくやれなかったという未完了感を残すことになる
- 「できる人」と「できない人」の間には、自己信頼の度合いに関する大きな溝がある
- 生理的欲求については、特別な差異はない
- 安全欲求の段階ですでに差がある
- 雇用の安定やそれに伴う所得や生活レベルの安定など
- 「できる人」はその安全を確保されているという実感を基盤に先を見通して、自助努力ができる
- 社会的欲求や自尊欲求においては更に差が出る
- 集団からの承認により、「できる人」は自己信頼を強めていく
- 失敗をプラスにできる人と、マイナスを増幅させる人の違い
- マイナス環境を活かそうとする「できる人」には、「できない人」の発想は消極的なものにしか見えない
- 「できる人」は、マイナスを乗り越えたあとにプラスがあることをこれまでの体験を通じて知っている
- 「できる人」は常に未来に向けて「いかに…するか」を意識する一方、「できない人」は少し思考が停止すると「…だから無理」という諦める理由を導き出す
- 「できる人」にとって、諦めることよりも踏ん張るほうが心地よいので、そういったことを意識するが、「できない人」は逆に、諦めることのほうが心地よい
- 「できる人」は「できる」という評価を得る過程で、「いかに…するか」を考えながら、物事を達成していく
- この繰り返しにより「好ましさ」が生み出され、未来に向けた「いかに…するか」の思考回路が出来上がっていく
- そもそも人間の脳は、快楽を求めるように作られていて、「できない人」にとっての快楽は、ハードル超えをやめることとなり、その理由を探すようになる
「できる人」と「できない人」の人生観の違い
- コントロールしていく人と、コントロールされる人の違い
- リフレーミング
- 直面している課題を別の枠組みに入れ替えて再考する
- 自分でコントロールできることに意識を向ける
- 環境に対して能動的
- 「できない人」の中に言い訳や逃避的な姿勢を感じてしまう
- 「卓越」というゴール、「まあまあ」というゴール
- 目標に対する意識の違いが褒め下手を生む
- 次々に高い目標を掲げる
- 意欲に溢れ、自分の可能性も信じているので、何かを達成したからと言って満足することはない
- 一つのことに対する達成感とは別の意味で、もっと高みを目指す貪欲さ
- 何を以てできたとするかの意識の差
- 具体的な目標は、一つのゴールであると同時に、次に繋ぐプロセスでもあるとゴールを捉えている
- 一方、「できない人」は、目標を達成すると一息ついてしまう
- その目標の先にあるものを見ていないので、ある意味自然な欲求
- こういった行動プロセスの差を、「できる人」の多くは客観的に受け止めることができない
- 完璧を目指す"WHY"と、その場しのぎの"WHAT"
- 「できる人」の発想は、問題を解決することではなく、問題の起きない仕組みや体制を作ることにある
- 行動は常に本質に意識を向けいている
- これに対して、目の前で起きている問題をどうするかで精一杯なので、"WHAT"に意識を向ける
- "WHAT"は視野の狭さや後ろ向きな発想によって、歪んだ形で現れるが、その"WHAT"にも理由があるという立場を理解しなければならない
まとめ
まず、できる人のできる所以、できない人のできない所以、その差がよく理解できたことが最も大きな収穫であったと思います。 なぜ、できないのかが理解出来ない、という点で悩むことはなさそうです。
次に、できる人とできない人がとる行動には差があるが、実は同じ欲求により動かされているが、目指したいと思う場所に差があるために生じるという点が参考になりました。 本質的に問題を解決しようとすると、実際にとった行動に焦点を当てるのではなく、その行動に至ったモチベーション側に焦点を当てて話をした方がよいのかなと思います。 ただ、現実問題としては、行動自体を制限することによって、組織の成果をコントロールしているというケースが多いと感じいます。
相手のことをよく理解するために、ものすごく参考になる本でした。 具体的な行動レベルで今日から何かを変えられる訳ではないが、一つ一つの接し方に於いて、少しずつ改善をかけていくにはよいのかなと思っています。 ただ、この本に書かれている具体的な策やテクニックについては、自分が今後直面するであろう事象に対して、どこまで有効かは分からないなというのが所感です。 個人的には、上記の理解の部分を促せる点に於いて、すごく良い本でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。